ニーチェ「曙光」を読みながら行こう☆
今、仕事帰りで、明日は、10月19日に亡くなった祖父の納骨に行ってきます。
朝7時に家を出て、10時頃、叔父の家に着く予定です。新幹線☆
おじいちゃんが最後に見たかった故郷の海写真たちに、まだ存命中のおばあちゃんの思い出の地もプラスしたアルバムと、写真を撮影地と対応させた地図、あと、祖父母の故郷の地元商工会の方から頂いたパンフレット、親戚のおばさんが蔵から発掘したむか〜しの写真たちを手土産に、行ってきます。
道中、ニーチェの「曙光」を読みながら、行くつもりです。
哲学は全く分からないのですが、鷲田清一先生の著作なら、よく拝読します。
あと、鷲田先生からのミシェル・セールとかも、好きです。
それで、いきなりがっつりニーチェは、ハードルが高いのですが(ツァラトゥストラとかもきつかったです。神様とかの感覚が分からなくて)、この本を書いた頃のニーチェが、今のわたしと同世代であることや、病を得てること(わたしも持病あります)など、ちょっと親近感が湧いたのです。
でも、10月に、「曙光」は、手に取りましたが、まだ最初の方しか読んでいません。
そもそもは、ニーチェの引用集みたいな本で、「曙光」の部分ばかりを、いいな、と、共感したのがきっかけで、アフォリズム集であることも、とっつきやすい気がして、買ったのです。
また、感想を書くかもしれません。書かないかもしれません。というか、書けないでしょう。分からなくて。本質的なことが。
ちなみに、ニーチェを読む時のBGMは、ワーグナーではなく、わたしは、きゃりーぱみゅぱみゅにするつもり。
つけまつける歌とか、ファミリーパーティとか。
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