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先程の記事で、画像の中の文字が、天動説と地動説が逆になっていたですが、これら画像のノート Rollbahnは、わたしの思考記録なので、しばしば、リライトされます。手書きでw

それはさておき、今日の昼間のメモをリライトした上記の画像は、3冊の本を読んだ感想文。
「星の使者 ガリレオ・ガリレイ」と「天動説の絵本」と「地球のかたちを哲学する」です。

結論としては、パラダイム(価値観や枠組み?)の多様性や、自分がいる枠組み内で起きた例外的な事項を、大事にするのが良いのだろう、みたいな、当たり前の話に落ち着いてしまった。

時代や地域や民族によって、さまざまな世界観を持ち、生きて、何か芸術とかまで生み出しているけれども、そういうのって面白い。文化人類学的な話になるのだろうか。

また、ガリレオは天動説を信じてた人たちにとっては、げ、という考え方だったけれど、ガリレオ自身が観測した中で発見した例外を大切にしたから、ロケットで宇宙に出られる前に、地動説に達したのだろう。
一方で、地動説は確かに正しいが、天動説の世界の生み出した美しい遺産のようなものを、唾棄してはならなさそうである。

パラダイムというのは、個人における価値観というより、社会における価値観というか枠組み、みたいなものだと、理解しているが(違うかも)、多様性や例外を大事にしないといけないのは、個人レベルにおいても同じだろう。

だから、例外を発見したら、探究しようと思うし、さまざまな事柄を大事にしたいと思うのです。
とりあえず、そんな感じ。



まだ外で考え事(言葉あそび)してます。

画像は、ミシェル・セールの「アトラス」という本についてのメモです。

箱詰めだけでなく、袋詰めがあると考えて、内側になるものと外側になるものの在り方の可能性が広がるということは、一対一、一対多の在り方の可能性も広がるということで、つまり、かなり、わたし的には、愉快な話でした。

あ! やば!
バスが無くなる!
おうちへ帰ろう☆
今日は午前中からコメダ珈琲店に居座っています。
途中で、友達が来て、2時間くらい話をしてたけど、いつもコメダでしているのは、普段はどうでもいいから忘れている自分自身の問題について考えて、言葉遊びをしています。

今日、さっき書いたのは、これ。



午前中に書いていたのは、これ。


間違えとった!(*ノ´Д`)ノ



ほんと、どうでもいいけど、こういうの好き。贅沢だから。

それで、今日は、コメダがクリスマス仕様になってました☆



ほほえましい。

はじめに☆

わたしは、写真を、iPhoneの最初から入っているカメラで撮ります。
その後、画像加工アプリを使って、修正したり、感じを変えたりすることが多いです。

そういうの好きで、いろいろ入れてみたうち、続けて使うものと、そうではないものがあります。

今夜は、なんだかんだで使ってしまうアプリを列挙してみます。

ただし、最初に書いておきますが、限られた機能しか使っていません。
使いこなせてはいませんよ☆

① Instaflash : 逆光の時に。


Instaflashは、逆光で暗くなってしまった顔などを、はっきりと見せることが出来ます。

例えば、わたしの腕を天井の照明に伸ばして撮ってみた写真。


この写真を「シャドウ」とか「ハイライト」というところを触って修正したもの。


あ♡ 肌荒れまで、ばっちり写ってましたw
すみません。アトピーがあるので、ガサガサしてて。


② VSCO : かなりマルチに加工したい時


たぶん、これ、何でも出来ます。
フィルタや色の調整機能も素晴らしいけれど、わたしが好きなのは、「水平遠近法」「垂直遠近法」という、撮った角度を変えられる機能です。

例えば、元の写真。


これを、水平垂直遠近法を使って、真上から撮ったようにすると、


若干、色合いも変えてしまいましたけども、愉快です。
もちろん、真正面から撮ったものを、斜めから撮ったようにも出来ます。

注意点は、写したい対象の周りの余白を、多め・広めに取ることです。


③ Prisma : 楽しいフィルタをかけたい時


ものすごい種類のフィルタがありますが、とりあえず、元画像。


これを、絵のように出来る。


2種類しか試していませんけれども、いろいろなテイストがあって、楽しいです。

わたしは、人の顔をはっきり誰とはわからないようにしたい時に、このアプリを使うことが多く、Amebaowndのプロフィールページのわたしの顔も、Prismaです。

自分の手描きのイラストにPrismaのフィルタをかけて、違う感じにされている方も、多くいらっしゃいます。
すごくおしゃれな絵になってました!


④リサイズメール : 画像サイズを小さくしたい時


説明はいらないかもしれませんが、なんピクセルかを指定して、画像を小さくすることが出来ます。
ガラケーの方宛のメールはもちろん、普通のEメール宛の時も、使ってます。


⑤ Retouch : 画像に写り込んだ余計なものを消したい時


消したい部分を選択すると、消せるアプリ。

例えば、元画像。


右の人を消したところ。ちょっと雑ですけども。


苦手な背景の時もありますけど、この画像に関しては、だいたい10秒くらいで、消して保存まで完了しました。


おわりに☆

今日、列挙してみたアプリは、どれも、直感的に使うことが出来るので、ストレスがあまりないです♪
機能は、わたしが使うもの以外にたくさんついているので、もしかしたら、もっといろいろ出来るのではないか? と、欲が出てへこむストレスはありますが、それくらいです。

以上、最近、よく使う画像加工アプリでした。
ほかにも、長時間露光系とか、パノラマ系とか、カメラそのものアプリもあるけど、今日は省略します。

わたしは、アーティストの作品の素晴らしさなんか、微塵も分からない。

今更ですが、星野源さんのアルバムを聴いています。
これ。


YELLOW DANCER。

結論を言えば、なんとなく好きなら、深く考えずに「消費」すれば良いじゃない? ということになるのかもしれませんが、長話を始めます。

星野源さんは、こないだ、一人旅のホテルの部屋で、たまたまついてたテレビのトーク番組で、福山雅治さんやB'zの稲葉さんのモノマネをして、あまり似てるとは言いがたいけど、それを指摘されて、顔色まで悪くなりながらへこむ様子があって、それが初見。
実際の初見は、真田丸だったようだけれど、気づかず見てた。

それで、そのトーク番組におけるどん底感が、なんだか良かったので、この前、iPhoneの中に入れる音楽を新しくしようと思った時に、お買い上げしました。
もちろん、一応、試聴してからだけども。

これと、同じような経緯で、めざましテレビで、アボカドトーストを楽しそうに作って美味しそうに食べてたから、カーリー・レイ・ジェプセンも、買っていたことがある。



カーリーのは、まんまとプロモーションに引っかかったのかもしれないけど、つまり、わたしは、アーティストの作品自体よりも、その人柄を重視するというよりか、かなり惑わされるようなところがあるのです。

つまり、極論を言えば、どんなに曲とか作品が優れていても、人が嫌だと、聴かないかもしれない。

うーむ。
例えば、最近なら、ゲス不倫の人とか、覚醒剤で捕まった人とか、わざわざ聴かないかもしれないです。
中学生の時、ASKAさんにはお世話になりましたが。
不倫やクスリの善悪は棚に上げておくけど、好感は持たないよ。

また、作品から不幸がうつりそう、と思うこともあり、絵とかでも、展覧会で目玉作品であっても、絵葉書を買わなかったりするもん。
例えば、大原美術館所蔵のモディリアーニのジャンヌ像とかさ。
ジャンヌは、モディリアーニが死んだあと、後追い自殺だよ。確か。
やだー!

話を戻すと、音楽に関して言えば、耳がバカなので、見た目と付随する情報をあてに、選ぶような時があるのです。
そうではないこともあるけど、そういう時が多いというのは、わたしは看過できない。


ところで、逆に、アーティストの作品ではなく、人となりに好感を持ち、それほどでもないと感じた作品に関する考えを翻すこともあります。

例えば、樂吉左衛門さんの茶碗。
わたしは、今年6月に、樂美術館へ行って、お茶碗を見て、「観葉植物の鉢にしたい」とか、思っていたけど、「ちゃわんや」というエッセイ状の作品集を拝読し、「これは、絶対にお茶碗だ」と、お茶碗をお茶碗として見るように、考えを翻してしまった。

ちなみに、初見でお茶碗なのに鉢だったら良いのにな、と思ったのは、こちらのお茶碗。


本は、こちら。


いったいぜんたい、何を基準に、考えて、選んでいるのやら。

われながら、ぶれまくり。
さっき、祖父の納骨から帰ってきました。

それで、法事は、つつがなく終わったけれど、わたしの手土産、アルバム。
祖父の故郷の海写真は、あまり芳しくなかったのです。

叔父は、法事の前に仕事があり、見る暇がなくて、いとこたちは、若いので寝坊したから、その存在をたぶん知らないから、芳しくないか、よく分からないけど。叔母さん(お嫁さん)は、興味ない。

いかんせん、肝心の祖母、自分の故郷、実家付近や女学校跡地の写真や、大阪時代の商店街とかの写真は、わりと懐かしかったみたいだけれど(2時間近く、むかし話に花が咲いた)、祖父の見たかった海や、地元パンフレットなどについては、面白いくらい無反応。

もう年だから、反応が気持ち良いくらい正直で、たぶん、抑制やお愛想はなしです。

反省は、おじいちゃん用の写真と、おばあちゃん用の写真を、別冊にすれば良かった、ということでしょう。

結論として、おじいちゃんが見たかった海について、興味がある人は、あの家には居ないかもしれないのです。
祖母と叔父以外は、ゆかりがない土地の景色ばかりだし、祖母はゆかりがあっても無反応だったし。

だから、おばあちゃんの見たい写真だけのアルバムと、おじいちゃんが見たかった景色の写真のアルバムを分けておけば良かったと思うのです。

ただ単に撮った順に、祖父用・祖母用をごちゃ混ぜに並べてしまい、芸がなかったなぁ。
生きている人のニーズを把握すべきであったよ。

明日、仕事なので、寝ます。
あ! でも、おじいちゃんの墓前に、わたしの撮った海写真を、母が置いてくれたから良かった。
おじいちゃんの見たかった海についての思い残し、死んでしまえば、時空を超えて飛んで行けそうだけども、なんとかなってると良いです。

はじめに。

紙に回帰しようっと♪ と、2016年からなので、まだまだ使い方が定まってはいませんが、手帳に書き記すようになりました。
そもそも、紙に回帰しようと思ったのは、父方の祖母が娘時代から、ずっと日記をつけていたのを真似してみよう、となってのことです。
なので、予定や行動を管理するよりも、ライフログ的な要素が強い使い方です。

2017年の手帳類は、4冊です。

①ほぼ日手帳オリジナル avec
②ほぼ日手帳weeks
③石井ゆかり 星ダイアリー 天秤座
④Rollbahnのノート

以下、詳細です。


①ほぼ日手帳オリジナル avec

一番メインの手帳で、仕事のこと、プライベートのこと、なんでも、ログを残しつつ、思ったこと、気に入った言葉などを書いていく予定です。
望月計男さんの「シロクマ」のカバーに、カバー on カバーをかけて使います。


ほぼ日手帳オリジナルは、1日1ページで、文庫本サイズ。
わたしは、それでも重たく感じるので、「avec」という半年ずつ分冊になっているものにしました。

多くのほぼ日手帳ユーザーの方が公開しているような可愛いイラスト付きのページは、わたしには書けないし、また、ほんとは、写真とかマスキングテープを貼って、視覚的にカラフルにしたいのだけど、プリントアウトがめんどくさく、レイアウトも下手だし、分厚くなるのが合わないみたいなので(2016年の教訓)、たぶん、また、文字ばかりと思います。

使う筆記具は、メインの文字は、スタイルフィットのブルーブラックで、文字を色分けしないかわりに、箇条書きの●印を、無印良品の60色色鉛筆にするつもりです。

ほんとは、色は、ぺんてるのマルチ8(8色色鉛筆が1本のペンになったもの)を持ち歩き、付けていたけど、中で芯が折れて、壊れてしまってる最中です。
さとうめぐみさんの手帳術の色分け(5色)とかも、その意義には惹かれるけど、あんまり、好きな色じゃないので、自分ルールを決めるかも。

なお、無印良品の60色色鉛筆の色は、こちら。


ニュアンスカラーが多いです。

ほぼ日手帳カズンという選択肢は、今年はありませんでした。
理由は、写真を貼らなくなってしまうから、スペースが広すぎることと、バーチカルのページを持て余すからです。

ちなみに、今年、2016年のほぼ日手帳オリジナルは、こんな感じで使ってました。


1日ページの時間軸を、予定と実績に分けて書き、その右に文章。
この頃は、まだ、マルチ8が壊れてなかったみたい(ハードボイルドなタバコの箱のすぐ下のペン)。


②ほぼ日手帳weeks

増田セバスチャンさんの表紙の、マンスリーページと、たしかレフト式という週間ページと、大量のメモページがある手帳。



これは、この派手さながらも、仕事用に使います。

2016年は、weeksは使っていませんでした。
今週から使えるということで、書き込みしちゃって、この手帳の中身は、仕事用だけに、もう見せられないけれど。

マンスリーページの休館日に、妖怪シールを貼ったら、可愛かったところなら、公開できるかも。


週間ページは、左ページを3分割し、①プライベートも含めた予定、②AM業務、③PM業務、と書いています。
あと、持ち歩くので、小遣い帳を兼ねてみる予定。


③石井ゆかり 星ダイアリー 天秤座

わたしは天秤座なのです。太陽が。
ついでに、水星、金星、冥王星も天秤座。


でも、正直、この手帳、星ダイアリーは、お月様の星座である射手座も買うか、迷いました。
占いなら、射手座の方が、性格とか運勢が、しっくり来るですよ。
月星座は、子供の頃とか女性としてのあり方みたいなものを表すのだったような気がしますが、たくさん星が居る天秤座より、しっくり来るのです。

でも、あえての天秤座。
なぜなら、たぶん、これ、太陽星座のソーラーハウスシステムとかいう分の占いだと思うから。

2016年までは、星座が分かれていなかったと記憶します。

星ダイアリーには、石井ゆかりさんの、週報やTwitterでの毎日の星占いを、記入して、眺めて、ニヤニヤする予定です。
石井さんの言葉は、真摯でユーモアがあって、とても好き♡
占いで行動を決めたり起こすか、というと、あまり、そういうことは、たぶん全くないのですが、読むのが好き。


④Rollbahnのノート

Rollbahnは、書き殴り用。


うっすらバレたかもしれませんが、わたしは、方眼が、この上なく好きです。


おわりに。

以上、2017年の手帳類について、書いてみました。

ペンがスタイルフィットなので、付箋はココフセンだったり、下敷きは2枚使いだったりしますが、今日は、おしまいにします。

長くなりましたが、もし、この記事、最初から最後まで読んでくださった方がいらしたら、ありがとうございます。
今、仕事帰りで、明日は、10月19日に亡くなった祖父の納骨に行ってきます。
朝7時に家を出て、10時頃、叔父の家に着く予定です。新幹線☆

おじいちゃんが最後に見たかった故郷の海写真たちに、まだ存命中のおばあちゃんの思い出の地もプラスしたアルバムと、写真を撮影地と対応させた地図、あと、祖父母の故郷の地元商工会の方から頂いたパンフレット、親戚のおばさんが蔵から発掘したむか〜しの写真たちを手土産に、行ってきます。

道中、ニーチェの「曙光」を読みながら、行くつもりです。

哲学は全く分からないのですが、鷲田清一先生の著作なら、よく拝読します。
あと、鷲田先生からのミシェル・セールとかも、好きです。

それで、いきなりがっつりニーチェは、ハードルが高いのですが(ツァラトゥストラとかもきつかったです。神様とかの感覚が分からなくて)、この本を書いた頃のニーチェが、今のわたしと同世代であることや、病を得てること(わたしも持病あります)など、ちょっと親近感が湧いたのです。
でも、10月に、「曙光」は、手に取りましたが、まだ最初の方しか読んでいません。

そもそもは、ニーチェの引用集みたいな本で、「曙光」の部分ばかりを、いいな、と、共感したのがきっかけで、アフォリズム集であることも、とっつきやすい気がして、買ったのです。

また、感想を書くかもしれません。書かないかもしれません。というか、書けないでしょう。分からなくて。本質的なことが。

ちなみに、ニーチェを読む時のBGMは、ワーグナーではなく、わたしは、きゃりーぱみゅぱみゅにするつもり。
つけまつける歌とか、ファミリーパーティとか。
甥(8歳。小学3年生)が、シャトルランで105回という記録を残して、学年で1等賞になったので、この前の日曜日に、パフェをご馳走してきたところでした。

そしたら、昨日、また記録更新して、111回になり、校内で、6年生まで含めて、なんと、4位の記録みたいです。

今度は、「6年生の最高記録145回を目指して、金メダルをもらうんだ!」と、はりきってます。
まだ遠いけども、145回の子は、今はもう中学生だから記録更新はないので、追いついて抜かす、つまり、頑張るそうです。
「きっと、6年生までには抜かせる」と。
「足も長くなるし、心臓と肺も大きくなるんだ」と。

シャトルランとは、わたしが子供の頃にはなかったのですが、20mの直線を延々往復するものらしく、だんだん速くなるドレミファソラシドに合わせて、走れなくなるまで走るものらしいです。
111回は、甥が言うには往復で、だとすると4km、往復でなくても2km以上、延々走っています。

「なんと、鬼畜な体育だなぁ! 意味わからない」と、運動嫌いで苦手なわたしは思うし、きっと、しんどくて、走れなかったか、途中で辞めてしまうところ、甥は喜んで、限界まで走っています。

なので、ちょっとえらいな、と見直して、パフェを食べさせてきたのだけど、どうも、ちょっとヘンタイさんです。
やっぱり、赤ちゃんの頃、泣きわめいていたし、肺活量が違うのかも。水泳もしてるし。
普段もずっと動くかしゃべってるし。
というか、甥は、ギラギラしてるから、競争が好き。

甥の謎の特技、シャトルラン。
おそるべし!

亡くなった祖父が最後に見たかった故郷の海、撮影を試みて、そのままネットに写真をアップするのは躊躇われたので、Prismaで加工したものにしました。

上記の写真の他に、祖父が見たかったであろう海の候補は、大雑把に言うと、2箇所あります。

ここ。近所の畑からの海。

そして、通っていた旧制中学付近の海。


それで、他にもいろいろ撮ってきたけど、本当に、地元の方のご協力があっての事でした。
いかんせん、歩いては、とても廻れないところ、身一つで行ったわたしを案内してくださったのです。

あと、親戚の家で、祖父母の昔の写真を分けて頂いたのですが、中に、大昔、たぶん第二次大戦後すぐのパン食い競争の写真がありました。


面白かったです。
昨日の休日は、両親と妹と一緒に、静岡県森町の小國神社へ行ってきました。

紅葉は、まだ緑色だったり、赤くなる前に茶色くなっていた印象です。
この写真だけ、少し綺麗に色づいていたように思えます。

お参りしてから、昨年来た時に買っていた縁結びのお守りを納め、新しいのは買わなかったけれど、おみくじを引きました。
大吉だったので、持ち帰り、今も、手元にあります。

そのおみくじに書いてある「天のみこえ」という五七五七七。
おこたらず学びおほせていにしへの人にはぢざる人とならなむ
普段、あまり上昇志向ではないので、積極的に学んでいなくて、耳が痛いなぁ、と、思いました。
そして、特に、「いにしへの人にはぢざる人とならなむ」のところも、わたしにとっては、タイムリーでした。

わたしの中の「いにしへの人」とは、身近で、10月に亡くなった母方の祖父や、まだ存命の祖母、その先祖のような。

というのも、祖父が亡くなる前、最後に、遠く離れてしまった故郷の海を見たいと言っていたそうなので、先週、その故郷、広島県某所まで行って、写真を撮ってきたのです。

地元の方のご協力を得て、うまくは撮れないけど、いろいろな場所の写真を撮ることが出来ました。

静かな田舎でしたが、海からすぐ丘や山で、海でも山でも、誰かが切り開き、ずっと手入れをして、何かを生産していました。
とてもパワフルでした。

わたしは、普段、何かを生産することはありません。
育むこと、出来たものを人に還元することなどがないのです。消費者ではあれど。

ここ1週間くらい、そのような点で、一抹の後ろ暗さを感じています。

「いにしへの人にはぢざる人」とは何か、わたしには分かりません。
でも、今、自分の生産性のなさ、暮らし方の雑さを、恥じているのです。

さて、どうしましょうかね。
困りました。