人となりに惹かれ、あるいは、反発し、考えを翻すこと
わたしは、アーティストの作品の素晴らしさなんか、微塵も分からない。
今更ですが、星野源さんのアルバムを聴いています。
これ。
YELLOW DANCER。
結論を言えば、なんとなく好きなら、深く考えずに「消費」すれば良いじゃない? ということになるのかもしれませんが、長話を始めます。
星野源さんは、こないだ、一人旅のホテルの部屋で、たまたまついてたテレビのトーク番組で、福山雅治さんやB'zの稲葉さんのモノマネをして、あまり似てるとは言いがたいけど、それを指摘されて、顔色まで悪くなりながらへこむ様子があって、それが初見。
実際の初見は、真田丸だったようだけれど、気づかず見てた。
それで、そのトーク番組におけるどん底感が、なんだか良かったので、この前、iPhoneの中に入れる音楽を新しくしようと思った時に、お買い上げしました。
もちろん、一応、試聴してからだけども。
これと、同じような経緯で、めざましテレビで、アボカドトーストを楽しそうに作って美味しそうに食べてたから、カーリー・レイ・ジェプセンも、買っていたことがある。
カーリーのは、まんまとプロモーションに引っかかったのかもしれないけど、つまり、わたしは、アーティストの作品自体よりも、その人柄を重視するというよりか、かなり惑わされるようなところがあるのです。
つまり、極論を言えば、どんなに曲とか作品が優れていても、人が嫌だと、聴かないかもしれない。
うーむ。
例えば、最近なら、ゲス不倫の人とか、覚醒剤で捕まった人とか、わざわざ聴かないかもしれないです。
中学生の時、ASKAさんにはお世話になりましたが。
不倫やクスリの善悪は棚に上げておくけど、好感は持たないよ。
また、作品から不幸がうつりそう、と思うこともあり、絵とかでも、展覧会で目玉作品であっても、絵葉書を買わなかったりするもん。
例えば、大原美術館所蔵のモディリアーニのジャンヌ像とかさ。
ジャンヌは、モディリアーニが死んだあと、後追い自殺だよ。確か。
やだー!
話を戻すと、音楽に関して言えば、耳がバカなので、見た目と付随する情報をあてに、選ぶような時があるのです。
そうではないこともあるけど、そういう時が多いというのは、わたしは看過できない。
ところで、逆に、アーティストの作品ではなく、人となりに好感を持ち、それほどでもないと感じた作品に関する考えを翻すこともあります。
例えば、樂吉左衛門さんの茶碗。
わたしは、今年6月に、樂美術館へ行って、お茶碗を見て、「観葉植物の鉢にしたい」とか、思っていたけど、「ちゃわんや」というエッセイ状の作品集を拝読し、「これは、絶対にお茶碗だ」と、お茶碗をお茶碗として見るように、考えを翻してしまった。
ちなみに、初見でお茶碗なのに鉢だったら良いのにな、と思ったのは、こちらのお茶碗。
本は、こちら。
いったいぜんたい、何を基準に、考えて、選んでいるのやら。
われながら、ぶれまくり。
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