アルバム作り反省
さっき、祖父の納骨から帰ってきました。
それで、法事は、つつがなく終わったけれど、わたしの手土産、アルバム。
祖父の故郷の海写真は、あまり芳しくなかったのです。
叔父は、法事の前に仕事があり、見る暇がなくて、いとこたちは、若いので寝坊したから、その存在をたぶん知らないから、芳しくないか、よく分からないけど。叔母さん(お嫁さん)は、興味ない。
いかんせん、肝心の祖母、自分の故郷、実家付近や女学校跡地の写真や、大阪時代の商店街とかの写真は、わりと懐かしかったみたいだけれど(2時間近く、むかし話に花が咲いた)、祖父の見たかった海や、地元パンフレットなどについては、面白いくらい無反応。
もう年だから、反応が気持ち良いくらい正直で、たぶん、抑制やお愛想はなしです。
反省は、おじいちゃん用の写真と、おばあちゃん用の写真を、別冊にすれば良かった、ということでしょう。
結論として、おじいちゃんが見たかった海について、興味がある人は、あの家には居ないかもしれないのです。
祖母と叔父以外は、ゆかりがない土地の景色ばかりだし、祖母はゆかりがあっても無反応だったし。
だから、おばあちゃんの見たい写真だけのアルバムと、おじいちゃんが見たかった景色の写真のアルバムを分けておけば良かったと思うのです。
ただ単に撮った順に、祖父用・祖母用をごちゃ混ぜに並べてしまい、芸がなかったなぁ。
生きている人のニーズを把握すべきであったよ。
明日、仕事なので、寝ます。
あ! でも、おじいちゃんの墓前に、わたしの撮った海写真を、母が置いてくれたから良かった。
おじいちゃんの見たかった海についての思い残し、死んでしまえば、時空を超えて飛んで行けそうだけども、なんとかなってると良いです。
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